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7/26~明日から相馬野馬追が開催されます!

明日から相馬野馬追が開催されます!

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中村藩主の相馬氏の起こりは非常に古く、『相馬系図』によれば相馬小次郎平将門を祖とし、下総(南関東)を本拠としています。将門から12代目に当る相馬師常は、同族の千葉氏より出て相馬氏を継ぎ、奥州相馬の初代となりました。
相馬は、藩政時代には、禄高6万石の小藩で、隣に10倍に余る大藩の伊達氏があり、いつ何時攻められるかわからないため、常に武器を傍らに置いて働き、敵が攻めて来ると聞けば、一同妙見社に集り、御神水を飲んで結束を固くすると同時に、日頃、学問から礼儀作法にいたるまで、きめ細かな精神的しつけを怠らず、緊張感を持続し、武士道精神をさかんにすることに全力を注いだのです。
一方、武具の充実と武術の鍛錬を怠ることが出来ない相馬にとって、野馬追行事は、幕府の厳しい監視の目を逃れる格好のかくれ蓑として、武術の訓練を図る場となったのです。

相馬の武士道の源は、すでに戦国時代の顕胤(あきたね)などに現れています。伝記に、天資英邁、至行端正、特に信義に厚く、妻の父に当る伊達稙宗(たねむね)のために、稙宗の子晴宗と度々戦を交えたのも信義のためです。ある時阿武隈川を挟んで対戦し、多くの戦死者を出した時、敵味方塚をつくって一緒に葬ったことは、敵方に感動を与え、語り草になっています。

幕末になって相馬は、天明、天保の大飢饉により大打撃を受けましたが、相馬を救ってくれたのは、二宮尊徳の「與国安民法」(相馬では御仕法と呼んでいます)でした。その基礎は、至誠・推譲・分度・勤労という四つの徳目におき、徳を持って徳に報いるという報徳精神です。
このように、古くは武士道精神、新しくは報徳精神という二大指導精神が相馬を支えてきたもので「相馬は東国の君子国」と言われる所以です。

資料出所:相馬野馬追執行委員会
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伝相馬義胤所用 / 朱漆塗萌黄糸威横矧五枚胴具足

相馬義胤(外天公)の、その遺体は遺言により甲冑を着せ、武器を持たせ、立ったまま伊達氏の勢力圏である北向きに埋葬されたといいます。この気迫と信念が相馬を守り、寸土をも許さなかったと言われ、強いばかりでなく武士道の権化であると賞賛されています。
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(一社)相馬報徳社

Author:(一社)相馬報徳社
976-0035
相馬市馬場野字山越89
0244-32-0624
sohoutoku@yahoo.ne.jp
**********************
H26.11.26 さとばたけ報徳センターがオープンしました。
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 相馬報徳社は、二宮尊徳の高弟である相馬中村藩士斎藤高行が明治の初めに設立した報徳仕法を実践する団体です。
 報徳仕法は、江戸時代末に相馬中村藩、小田原藩をはじめ、桜町領(真岡市二宮地区)烏山藩、谷田部藩、日光神領等、天明・天保の大飢饉からの農村の復興に大きな役割を果たしました。
 今回の大震災と原発事故により相馬中村藩領の大部分が避難生活を余儀なくされ、現在もその状況に変わりはありません。
 全国の報徳団体と日本アムウェイの協力を得て、相馬報徳社は活動を再開しました。
 地域の子供たちとのコミュニティを大切にして、震災復興支援の拠点として活動します。

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