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岡田清一先生の講演会「相馬と将門」が開催されます。

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奥相の歴史と文化を語る会・相馬郷土研究会主催、相馬報徳社特別顧問(東北福祉大教授)岡田清一先生の講演会「相馬と将門」が開催されます。
 演 題   「相馬と将門」  
 講 師   東北福祉大学 教授 岡田清一先生
 日 時   平成25年12月21日(土)10:00~
 場 所   はまなす館 (〒976-0013 相馬市小泉字高池357)

平将門首塚(東京都千代田区)

相馬氏初代の相馬師常は鎌倉時代初期の武将千葉常胤の次男で、師常が父常胤より相馬郡相馬御厨(現在の鎌ケ谷市、柏市、流山市、我孫子市、野田市の一帯)を相続されたことに始まります。
伝承によると師常は平将門の子孫である師国の養子で、将門に縁の深い相馬御厨を継承させたといわれます。
将門の首は平安京まで送られ東の市・都大路で晒されましたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされます。

詳細説明:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B0%86%E9%96%80%E3%81%AE%E9%A6%96%E5%A1%9A
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二宮尊徳・慈隆墓(福島県相馬市愛宕)

二宮尊徳・慈隆墓(福島県相馬市愛宕)

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二宮尊徳

尊徳は安政3年(1856)10月20日、70歳で今市で没し、如来寺に葬られました。中村藩では遺髪を葬り、安政4年7月墓碑を建立しました。尊徳の戒名である誠明院功誉報徳中正居士から墓碑は「誠明先生墓」となっています。墓碑銘は、幕臣の筒井肥前守憲政が書いたものです。

慈隆尊師

中村藩の政治顧問であった慈隆尊師は、御仕法のよき理解者であり、事業の推進に大きな役割をはたしました。明治5年11月24日、東京の相馬邸で亡くなり、遺骸は中村(相馬市)の二宮尊徳の墓の隣に葬られました。
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プロフィール

(一社)相馬報徳社

Author:(一社)相馬報徳社
976-0035
相馬市馬場野字山越89
0244-32-0624
sohoutoku@yahoo.ne.jp
**********************
H26.11.26 さとばたけ報徳センターがオープンしました。
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 相馬報徳社は、二宮尊徳の高弟である相馬中村藩士斎藤高行が明治の初めに設立した報徳仕法を実践する団体です。
 報徳仕法は、江戸時代末に相馬中村藩、小田原藩をはじめ、桜町領(真岡市二宮地区)烏山藩、谷田部藩、日光神領等、天明・天保の大飢饉からの農村の復興に大きな役割を果たしました。
 今回の大震災と原発事故により相馬中村藩領の大部分が避難生活を余儀なくされ、現在もその状況に変わりはありません。
 全国の報徳団体と日本アムウェイの協力を得て、相馬報徳社は活動を再開しました。
 地域の子供たちとのコミュニティを大切にして、震災復興支援の拠点として活動します。

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